本作はモーションスキャン技術にて役者の表情の取り込みに成功した、極めて優れた表情描画システムを搭載したとのことだったので、てっきり刑事コロンボのように犯人の顔色を伺いながらネチネチと追い詰めていくゲームかと期待していたのだが、実際はポイント・アンド・クリック型のアドヴェンチャーゲーム的な要素が大きく、論理や推理があまり重視されていないように感じた。どちらかと言えば、「こんな感じかな?」といった風に雑に事件を”想像”して詰問していくのが上手くいくというか、最後まで付き合える遊び方のように思う。尋問についてだが、主人公フェルプスの問い詰め方が元々なのか翻訳の問題か、私の推理力不足か、どうも問い詰めの言葉と反証する証拠が噛み合っていない場面があり、なんだかもやもやする。冒頭に述べた表情描画だが、犯人や容疑者を問いただすと、急に彼らの目が泳ぎだしたり、やたら落ち着きが無くなったりと、憧れの刑事ドラマに参加しているように感じられ、とても素晴らしい出来であった。だが、ゲーム性には結びついていそうでいて、その実はあまり結びついていない印象もあり、嬉しさと残念さが入り混じる。
米国版毛利小五郎?
トンチンカンな質問をして犯人をキレさせる、優れた腕っぷしにより容疑者の確保は上手い、迷推理を披露しまくり信頼を落としても視界が暗くなる度に(Loading画面)いつの間にか周囲が優秀な捜査官だと褒め称えてくれるようになる。以上の三点から本作は国民的アニメになりつつある名探偵コナンに登場する『毛利小五郎』を擬似的に体験できるゲームだと考えたい。本作は主人公が極めて優秀な捜査官であるといったシナリオに沿って進行するため、プレイヤーがどんな迷推理で周囲を失笑させても、章をまたぐ度に開発側の都合により推理ミスを犯していない優秀な捜査官へと不自然にリセットされるのである。確かに選択肢別に物語を作るとなると膨大な作業量となり開発がKaroshiするのは目に見えているが、だからと言って常にスーパー捜査官で強引に通すのもプレイヤーを混乱させてしまうだろう。よって日本人限定にはなってしまうものの、Loading画面中に主人公のおっさんが腕時計型麻酔銃を首に撃ち込まれるアニメーションと共に、『”眠りのコール・フェルプス”が事件を大解決!』という一文を表示させれば、極めて自然な形でゲームの設定や進行に疑問を持たなくなるのではないだろうか。
◆スクリーンショットでは伝わらないかもしれないが、実際のゲーム内で相手の表情や態度を見てみると、すぐさま怪しいというのが分かる。このような肉体的な動きは社会的地位に比例し、上の方にいくほど表情や思惑が読み取りづらくなる
◆ベンチで新聞を開く尾行シーン。見事なほどコッテコテのベッタベタ
◆カーチェイス場面は結構派手。犯人を取り押さえるためならば、街なかで多少無茶しても許されるというのがアメリカ的(Rockstar的)でとてもよろしい
◆凄惨な殺人現場が詳細に描かれているのも独自の要素だ。ここまでやるのか、というほどの作り込みに大抵のプレイヤーは嫌悪感と感心が入り交じることだろう。スクリーンショットは数ある中から度合いの軽いものを選んだが、その手の現場検証を行う度に「アメリカって病んでるなぁ」とため息が漏れる